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特集記事 私のインターンシップ(1) (2004/01)


インターナショナル・インターンシップ・プログラムス

東京事務所 所長 池田 吉和


このプログラムは1972年に始まりました。私が先ず実践してみました。

外国の一般社会が見たかったので、留学より一般社会に密着できる滞在方法はないかと考え、”そうだアメリカの選挙を1年間見ればその国の多くの人達に会い、社会の抱える問題点にも触れる事が出来るのでは”と実行したのです。

皆さんの中にもこの考えに共感してくれる人もいるのでは?

というのも1979年以来(準備は1978年から)始めた者としては驚きの1万人以上の方々がこのプログラムを利用しているからです。

さあ最初のインターン、池田君はどうしたでしょう?時あたかも1ドル360円が崩れ、308円だったかと思います。言葉も金も不自由な池田君は日本で多少の調査はしたものの文字どおり何処にも行く宛ても無く、アメリカに旅立ちました。何とかなるだろう、何とかしなければとの気持ちに望みを託しての、心許ない一年の始まりでした。大統領選挙の年でしたが、より地域に密着した435の下院議員選挙区から一つを選ぶ事にしました。飛行機に乗るのも初めてなら、車の免許も持っていませんでした。無職の池田君はクレジットカードもありませんでした。首都ワシントンや幾つかの都市に降り立ち、空港から出た途端の苦しさは体験した皆さんならおわかりでしょう。迎えはいません。日本人でこの種の事で助けが出来る人も稀でした。その後の出来事は次号以降、詳しくお話しましょう。

何にしても1年間の実地体験・・・すべてが自分でやり、自分しか頼る人がいない・・・は自分をタフにするのです。現地の人にも色々いて、どうそれぞれに対処するか、もちろん英語でというのは、語学の習得にも私の経験では速効性があったようです。語学は結局単語力に尽きるかと思いますが、普段の努力も大切です。バスの運行も週末は無く、駅まで毎朝片道50分、犬の多い所を歩けば、車の免許も必死で取らざるを得ませんでした。秋のレイバーデーを過ぎてからは車での行動の自由もあり、選挙の関連で朝食会が毎朝三ヶ所、昼食会が毎日五回、夕食或いはパーティーと称するものが毎晩七回位、約二〜三ヶ月連続しあらゆる階層の人達と意見交換、議論し、少しはその国の事情と国民性がわかったかなと半信半疑で思いました。

変わった日本人がいる、と今はニュースキャスターをやっている筑紫哲也氏も、「本当は自分もこういう事がやりたい」とご馳走までしてくれた事も懐かしい思い出です。他人いわんや外国社会に身を置く事は、いやな事が多い中に、たまに良い事があるという体験です。語学学校での受け身の姿勢の授業は効果が上がらず失望に終わるのも主としてこの苦労が少ないからでしょう。このプログラムと留学を両方経験した人の証言でもあります。

楽しいだけの参加ではなく苦労と不愉快を含め、間違いなく『一生の財産』になりうる人生の一章です。25年目の節目ですが、上に書いたような共感が寄せられた25年でもありました。

(次号につづく)