私を変えた、フィリピンでの経験
新山あゆみさん
フィリピン
私は高校時代から日本語教師になりたいと考えていました。日本語に興味を抱くようになったのは、故郷の方言がきっかけでした。青森での日常語は津軽弁。この津軽弁は日本語のいろいろな方言の中でもかなり特殊な言葉といえます。そのことを知ってからは、日本語に興味を持つようになりました。そんな時、たまたま書店で日本語教師になるための本を見つけて「これだ!」と感じました。大学では目標の日本語教師になる為、日本語教育とスワヒリ語を専攻しました。スワヒリ語を勉強したのは、ケニアやタンザニアに興味があったからです。日本語教師になるにしても、頭でっかちの先生になってはいけないとずっと思っていました。そのため、海外でしかも大学レベルで日本語を教えて経験を積みたいと考えていました。研修先のマニラの大学でビジネス科の学生相手に日本語を教えました。アシスタントティーチャーだと思っていたら、いきなり「プロフェッサー」と呼ばれてびっくりしました。20人から60人の大所帯のクラスばかりで、毎日がまるで講演会のよう(笑)。それに私が派遣された大学では一つの講義が3時間もあるので、途中で講師も学生も疲れてしまい、いかに講義を盛り上げるかが最大の課題でした。大学でしっかりと日本語教育を学んだつもりでしたが、実際に海外で教えてみて勉強と実践の違いを痛感しました。大学では在日外国人を対象に日本語で日本語を教える直接法を学びました。でも海外では英語で日本語を教えることもあるんです。ですから、媒介語としての英語をもっと勉強しておけばよかったと、ものすごく後悔しました。フィリピンに来たばかりの頃は、やる気のない学生に腹をたてたりフィリピン人の押しの強さに戸惑ったりもしました。でも帰国した今では「フィリピンに行ってよかった」と心から言えます。フィリピンの暮しの中では、いろいろな壁に突き当たりました。それを自力で乗り越えたことで、自分自身が変わることができたと思います。