「吉」となったインターンシップ参加の決断
大内 洵子さん
ドイツ
二〇〇三年十月、成田空港のロビーにベンとベンの母、シュニッツラー先生が降り立ちました。大きく手を振っています。
「十五年前はまだ多少若かったのですが、私がよぼよぼのおばあさんになるのはもう時間の問題です。今がチャンスです」と送ったメールに応えて、私がお世話になった先生親子がやってきたのです。
インターンシップの小さな新聞広告を切り抜いたのはもうふた昔も前のことでした。ドイツで授業をしたい、ドイツの学校を体験したい、という私の願いを叶えるのは今しかない、と思い受験しました。この決定が吉とでるか凶とでるかは神のみが知る事、退職してドイツへ渡ったのは私が五十歳の時でした。日本での二十九年間の教師経験は、ドイツでの学校で役立ち、同時のドイツと日本の学校の違いに驚きました。
その驚きを私は毎晩ワープロに打ち、一週に一度プリントアウトし日本にいる夫に送りました。偶然にこの便りのことを知った福島県の記者が記事にしたことから、全国紙の新聞の天声人語に紹介され、帰国後私は「ジュンコ先生のドイツ教育体あたり奮戦記」「なんとなんとギムナジウムの成績表」(五月書房)など五冊の本を出版しました。私の五十代はまさにドイツ体験に関わる仕事一色であったと言っても過言ではありません。
私に行動を起こさせてくれたインターンシップは、私の五十代以後の人生を意義あるものにしてくれました。シュニッツラー先生親子はジュンコが住む日本の文化に触れ、日本の家庭の食を楽しみました。当時の校長アッペンツェラー氏は現在も現役で、彼からのメッセージには「フラオ オオウチ、いつでも大歓迎です。あなたのクラスはすぐに準備します」と書いてありました。
私が現在あるのはインターンシップのおかげです。心から感謝しております。本当のありがとうございました。