インターンシップ参加の動機
橋本 忠典さん
ドイツ
ドイツに長期滞在をしようと思い始めたのは、定年を一年後に控え、家族と一緒にドイツ旅行をした時に現地であまりドイツ語が通じず短期間にあちこち忙しく歩き回り、充足感を満たす事なく終止した事であった。
本来ならば、定年後の生活設計を立てるべきであろう。考えられる内容としては、1)再就職、2)趣味の生活、3)社会奉仕、4)その他。平成不況の真っ只中、定年退職者、地方在住を考えると労働環境は容易な状況ではない。取り敢えず、定年になったら今まで出来なかった海外旅行を家族と一緒に楽しむ事を企んだ。又、定年後の生活のあり方に就いて、今一度思いを馳せる時、30数年間のサラリーマン人生で、今迄、社会から受けて有形・無形の恩恵に対して、如何に還元するかを考えた。健康であれば、ボランティア活動に依る社会貢献、或いは地域社会の世話等考えたが、中々これはと思う案は浮かばなかった。
そこで定年になったのを機会に、40年前に習ったドイツ語を再び学び始めた。先ずは、「NHK」のテレビ・ラジオの「ドイツ語講座」から始めた。その後、当地のグループと一緒にドイツ人に付き、進捗度を験す為、「独検」を受け合格したのを機会に、更にドイツ語の「会話能力」を高め、より広い世界で得られた見聞・知識を帰国してから、自国内での社会活動に活用出来ないかと考え、「インターナショナル・インターンシップ・プログラムス」に参加した次第である。この様な経験を踏まえ、現在地域の環境問題(ゴミの減量化、温暖化ガスの減少化等)にボランティア活動に参加している。
*研修先の学校での印象
私がお邪魔した学校はBremenから内陸部に約20km入った、Hauptschule Achim(基幹学校)であった。一年で一番寒い一月末に出発し、7月末迄、約6ヵ月の滞在期間であった。町は人口約30,000人で、こじんまりした所であった。
ドイツの教育制度は日本の6:3:3:4制度と違って、小学校は4年生迄、それからはギムナジューム(大学コース、9年制)、基幹学校(5年制)、実科学校(6年制)に分かれている。従って、日本で言う5年生で将来が決まってしまう制度になっている。又、小学課程に於いても落第制度があり、従来の日本では考えられない環境である。日本では恥ずかしいと言う言葉が先に出て、転校をする事すら聞いているが、現地では寧ろ、原級に留まり勉学に励み、しかる後、進級する方が望ましいと社会的にも認識されている。
一方、5年生で将来の方向を決めるのは問題があると言う意見があり、最近は総合制学校(Gesamtschule)が出来たが、内部ではやはりコース別(習熟度別)に分かれ、実質的には当初の分類と同じ様な結果であるようである。
北部は比較的、南部に比べ移民が多く、特に、基幹学校ではこの傾向は更に顕著である。移民の生徒達は1960年代にドイツの経済発展時に労働力不足対策として呼び寄せられたイタリヤ、ギリシャ、トルコ系の人達の子弟で、特に多いのはトルコ系の子弟である。現在ドイツ人口の約9%が移民であると言われているが、この学校では移民の子弟の割合が30〜40%を占めており、彼らは学校ではドイツ語を話し、家庭に帰ってはトルコ語を話し、しかも学校教育に於いては英語は必須科目であり、同時に三カ国語を学ばなければならない。勿論、トルコ系の子弟にはトルコ語授業があるのは言うまでも無い。この為先生方の苦労・努力は大変なものがある。又、ベルリンの壁の崩壊以来、旧東欧諸国からのドイツ国籍を持つ人達がドイツに戻り始め、両親はドイツ語は出来るが、彼らの子弟はドイツ語が満足に出来ず、仲間同士が話す時にはロシヤ語を話しており、他の人達と一生に授業を受けることが出来ず、こうした人達には特別の学級が編成され、小人数教育を受けていた。第二次世界大戦が終わって50数年以上経過した現在も、戦争の後遺症に悩んでいる状況を体験するにつけ、決して戦争をしてはいけないと認識させられた。
ドイツの学校は通常午前7:30分頃から授業が始まり、午後1時には1日の授業は終了する。基本的には、学校に於けるクラブ活動は無く、ハウスマイスターによって学校は施錠される。従って昼食は家で家族と一緒に食べ、スポーツをする人は自宅周辺にあるクラブに所属し活動をする。ここで問題は、特にイスラム系の女生徒達の躾(戒律?)は厳しく、一旦家に戻ると家事手伝い、使い走りに追い回され、或いは母親の話し相手を勤めなければいかない等(生徒達の母親は長年ドイツに住んでいてもドイツ語を話すことが出来ない為)自身の自由時間が持てない。この為、自由に出来る時間が欲しい、午後も学校に残り、クラブ活動をしたいと特に女生徒からの強い要望が出された。鳩首、先生方の尽力に依り慣例を破り、クラブ活動を始めた。このクラブ活動の一つに小生が伝授した「折り紙クラブ」がある。提起された問題を真摯に受け止め、自分達の力で解決した様子を見るに付け、自主性が尊重されているのが認識させられた。
ある時、小学校で「折り紙教室」開催を依頼され、訪問した時に、教頭先生に私の授業を見学しないかと、誘われお邪魔した(2年生?)。国語の時間でしたが、先生は古い書物(表紙がかなり痛んでいた)を棚から取り出し、生徒達に読んで聞かせ、しかる後に感想を求めて子供達に発言を求め、子供達も活発に応答していた。この様に小さい時から対話の訓練をしているのかと、改めて感心すると同時に日本ではこうした訓練は何処の過程で行われているのか?と自問した。
*職業教育に就いて
基幹学校を卒業した生徒に取っては必須の職業教育であるが、ギムナジュームに入学した生徒であっても大学入学検定試験(アビチュアー)を取得しない生徒は当然のことであるが、中にはアビチュアーを取得した取得した生徒も職業訓練を選択する事もある。所謂、「二元性システム」とも呼ばれ、企業に於ける実習教育と職業学校での理論教育の二本建てで行われる職業教育である。詰まり、民間企業と国とが職業教育の責任を負っているのである。こうした教育を受けて始めて実務に就く事が出来る。従って、専門的な教育を受けなければならない職業は、単なる会社名より高い評価を受けている。
*現在の状況
定年後10年目に入り、ドイツに滞在出来た事を大変貴重な経験として大事にしている。当時に比べるとドイツ語の力も多少つき(?)、目下出来る限りドイツと何らかの形で接触を保っておきたいと思い、定期的にDer Spiegel誌を購入し、文字を数えながら読んでいる。私の学力には少し過大すぎる面はあるが、新聞、ラジオ、テレビ等には見られない、聞けない興味のある記事が数多くある事で慰めながら楽しんでいる。
尚、現在も当時のドイツの先生方とは今でも文通を続けている。