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1999年−世紀末であわただしい頃、私は50歳を迎えようとしていました。電気エンジニア一筋に26年間働いてきましたが、ある日ふと、「このまま同じ仕事を10年続けた後は、一体自分はどうなるだろうか」と、考えるようになりました。「何か新しいことを始めてみたい」と、漠然と思い始めた頃、家内が「こういうプログラムもあるよ」と、インターンシップ・プログラムス(IIP)のカレッジインターンの資料を私に見せてくれました。−海外の大学で日本語を教える−これこそ、私が探していたことだと気づきました。人に教えるという仕事は、年をとってからでも長く続けられるし、人にも喜んでもらえるのではないだろうか・・・私は決断しました。「よし。会社を辞めて、海外へ行こう!」と。
こうして、私の「日本語教師」としての第一歩が始まったのですが、流石に初回の授業は緊張しました。失敗がないようにと入念に支度をして出発したのですが、現地到着後、「明日からお願いします」といわれた時は、「来るべき時が、来たか!」と、思ったものです。生徒数は、日本語初級2名、中級1名の計3名からのスタートでしたが、"日本から来た先生が授業をしている"ということを聞きつけた生徒達が、徐々に増えてきた時は、照れくさいやら、嬉しいやら。しかし、「大学内だけではやはり生徒は限られている。もっと多くの人に日本語に触れてもらいたい!」と思い、近くにある日系企業に「日本語の勉強をしませんか?」と、話を持ちかけたところ、予想以上の参加希望者があり、受講定員の20名をあっという間にオーバーしてしまいました。このため、さらに追加のクラスを増設し、結果、数十名の生徒に日本語を教えることになりました。
授業の内容も色々と工夫しました。長年培ったエンジニアの知識を活かし、授業で教えた日本語の発音を生徒がいつでも気軽に復習できるようにと、教科書の内容を私の声でExcelに貼り付け、CDにコピーして音声教材として配布しました。また、例えば年齢の数え方では、"My age makes me sigh."というカードを準備し、「日本語では年齢を言う時「歳(さい)」を使います」と話し、生徒の頭の中には"age"と聞けば"sigh(ため息)"が連想されるように考えました。「先生の教えてくれた日本語は、無理に覚えようとしなくても、一度聞いたら忘れない」教え子の言葉が印象に残りました。 「いかにして生徒の負担を軽くし、楽しく日本語を学習できるか」ということを考えて毎日を過ごしていたら、あっという間に帰国の日を迎えました。
「五十にして天命を知る」−アメリカ/ピッツバーグのLa Roche Collegeへ行ったことは、私にとって正に"天命"だったのかもしれません |